とある詩人の詩を読むあたって、その詩人のバックグラウンドを知ることはどんな意味を持つのであろうか?

私が詩を読むとき、詩そのものを想像するとき、どんな影響を与えるであろうか?

正直に申し上げると、ただ、詩を読むだけであるなら、思うままに読むのがいいと思う。

その詩人の研究をしたいなら、その過去にも目を向けなくてはいけないだろうが。

もし、私が詩人であるなら、詩を書いて誰かに読まれるとき、過去の詮索などしてほしくはない。私がどんな人生を歩んできたか、どんなことを感じで生きてきたかなどは関係なく読んでほしいし、読んでくれる人それぞれの感覚に任せて感じてほしいと思う。

という前置きをして、私は私のブログを始めたいと思う。

 

吉野弘詩集(岩波書店 2019年)

 

久しぶりに詩、自体を読んだのであるが、詩を読むということは、結構な労力を必要とするものだと感じた。

 

吉野弘の詩は現実を扱いながらも、どこか空想・想像の世界を思い起こさせる。

私が一番心に残ったのは【眼・空・恋】という詩であった。

以下、一部を引用する。

 

……

ぼんやり感受した明るい空を

はっきり見ようとして

皮膚の一ところが次第に透明な水晶体へと

変ってゆくさまを 私は思い描く

……

 

これは、眼ができたのは、見るに値するもの=美しいもの

があるからだ、ということを綴った詩である。

引用文3行目の、皮膚が…水晶体へと、という文に私は思いを馳せた。

ゆっくりと、皮膚が追いやられていき、次第にうっすらと、水晶体がきらめいていくさまを。

 

なんとも、うっとりさせられた。

じんわりとあたたかく母親が胎児を育んでいくような、

なんとも言い難い幸福さ。

未来が、輝いて感じられるようだった。

 

こうやって詩を純粋に楽しめるのは、今の私の心が安らかであるからである。

安らかで、中性的であるからである。

 

 

次は、何を読もうかしら。